【目次】

【私が多岐にわたる活動を掲載している理由】

大切なことは球体が煌めくオチの絵画空間は、私が考える箴言8ー22の太古の昔から神さまと共にある祝別された魂の世界とオーバーラップするからです。

日常の大切さを訴えるオチと日常のカイロスに生きる私とは生き方においても、哲学に於いても完全に一致しています。

​私がこのホームページで、災害現場での発明(ライフハック)や、未発表の童話をあえて掲載しているのには、確かな理由があります。

​​それは、天才画家オチ・オサムという類まれな才能と歩んだ日々の中で、彼から「人間の生命力と、想像力の尊さ」を、魂に刻み込まれたからです。

​不器用で不遜な私という人間が震災現場でヒラメき、降ってきた知恵は自分自身のものでないことはしっかり自覚しています。

子どもたちのためににしるす童話も。

これらの活動はすべて、オチ芸術へのオマージュ(献辞)であり、彼からのバトンを私なりに引き継ぎ、表現し続けている結果なのです。​

一見、私がやりすぎのように見えるかもしれません。

しかし、根底に流れているのは、オチ・オサムの絵画空間と、私にとっての永遠の魂の空間とが重なっているからに他なりません。

日常の一刻一刻は、オチの芸術に照らされた私の「生」の軌跡でもあるのです。

それを踏まえ、彼の芸術とともに、私の歩みも一つの記録としてここに共に遺させてい頂くことにしました。


プロフィール 

田村 治典(ニックネーム:夢・遊人)

【目次】


  このウェブサイトは、私が長年にわたって関わってきた多岐にわたる活動と、そこから生まれた発明や、画家オチ・オサム氏の芸術活動を整理し、若い世代へのメッセージとして残すために制作しています。

   全ての活動の根底には、【相手の立場を想像する】【一緒に生きる】【分ける】という理想があります。 

私の主な活動と役割

1. 画商(オチ・オサム専属)

    天才画家として美術界で知られる【オチ・オサム氏の唯一の専属画商として、彼の作品の普及と紹介を行っています。

九州派の創始者として知られたオチ・オサムですから、九州派の文脈で語られますが、私は九州派のことは何も知りません。

桜井さんを始め何人かの知り合いがいますが、むちゃくちゃな議論を楽しむいい人ばかりで、私は議論が白熱すると『太平洋にフタができるか!』と彼らの論理で機先を制して楽しんできました。

とにかく、【オチさんさえ売れたら九州派の画家はみんな売れる筈だ】と思ってやってきました。

現在、グリーンアートギャラリーの代表を務めていますが、コロナ以降は積極的な営業活動はおこなっていません。

2. 発明とボランティア活動 

(この町・花の街・作戦 実行委員会 代表として) 

1995年1月の阪神・淡路大震災を機に、「この町・花の街・作戦」実行委員会の代表として、災害時の人々の置かれている状況を想像し、【連帯と尊厳】を守るためのグッズを考案、啓蒙活動を実践してきました。

    中でも、厳寒の阪神大震災の避難所で生まれた【耐熱ペットボトル湯たんぽ】の考案は、私たちの30年にわたる活動の重要な柱として継続しています。

東日本大震災では 避難所における孤独を解消し、人々の絆を深める画期的な【20人が一緒に暖まれる長いコタツ】を発明、避難所に設置して回りました。

【簡易お尻洗浄器】は、東日本大震災を伝えるテレビニュースで、避難所の仮設トイレが紙が溜まって使えなくなっているのを見て人間の尊厳の大きな問題を感じました。

そこで、どこにでも転がっている小さな飲料水のペットボトルのネック部分にひとつだけ穴を開けて簡易お尻洗い器にする【自分でお尻エット】(早く言えばウォッシュレットに聞こえる)を考えつき、配布して回りました。

最近のヒット発明品は2016年4月に起こった熊本地震で考案した【両手が洗える手洗い器】です。

災害時の衛生状態の悪化と個人の尊厳を守るための開発としては自画自賛できる優れものです。


2リットルの底辺が四角い飲料水のペットボトルを用意します。

そのボトルの一つの角の底から2センチくらいの所に一つ小さな穴を開けるだけです。

水はその穴を指で押さえて7分くらいまで入れます。

満タンに入れてはいけません。水を入れると穴を上にして、横に寝かせて置いておきます。

水を満タンに入れるとこの時に穴の位置までの水がこぼれて無駄になってしまいます。

使用する時はボトルを立てて、穴の位置を台の端に置き、ボトルのキャップを緩るめます。

すると、空気が入って水が出ます。

手や食器を洗い、水を止めたい時はボトルのキャップを閉めれば空気の流入が止まり、水も止まるのです。

やってみると、当たり前ですけど、不思議で面白いものです。

使用後にボトルを立てたままだと、水が止まっていても振動や空気の膨張で水がなくなります。

必ず、元のように、穴を上にして横に寝かせて、次回の使用に備えます。

この手洗い器と【お尻洗浄器】を組み合わせれば、災害で停電・断水になったタワーマンションの上階でも、いつでもお尻洗浄機能を持った尊厳を保ったトイレが作れます。

まさに【奇跡の大発明】だと自画自賛!。

3. 歴史の探訪者として

    歴史に疎い私ですが、最上家の48代現当主である最上義治氏の現役の画家との2人3脚で、歴史探訪者としての活動も行っています。 

清和天皇の流れを汲む最上家は、改易によって、山形から滋賀に移され、明治までの何百年間も地元の政争から無縁で血筋が守られできました。

この最上家の第48代現当主の義治氏の画才は、8の付く代に偉人を輩出するという、最上家の言い伝え(清和天皇から18代が最上家を名乗り、28代が有名な戦国武将、最上義光、38代に弓の名人がいて無名画家の義治氏は48代)のように、常人の画才でなく、画商の私の魂も揺り動かされています。



4. 次世代に伝えたいこと!

 次の世代に伝えたい【分ける】という想いを込めたたHPです。


【私の人生観】

    私の人生は哲学的第一原因の神さまを信じる人間として、多面的に生きてきました。

全ての活動は【一緒に】。【分ける】【諦めない】という理想で繋がっています。

このHPを通じて、私の人生の奇跡と、次世代への「遺言」のようなメッセージを感じていただければ幸いです。

これからも、生命が許される限り、ジャンルに囚わず、猟師、ヨーデラー、童話作家など、何にでも挑戦するつもりです。

この話の長い、傲慢な老人を今後ともよろしく、ご指導お願いいたします。

5.教育者としての私


大阪大学医学部

海外医療協力論

特別講師


元JTBカルチュアサロン大阪【海外鑑賞のツボ】講師


ハチャメチャ幼児教育者

日本一の里山、黒川村にて、農耕・猟師・私設遊園地作り







6.料理研究家としての私

美味しいうどんの開発!

全国展開した【資さんうどん】のファンだった私。

全国展開を機にパロディで【かくさんうどん】の商標を取得し、【資さんうどん】のフェイク版で、【かくさんうどん】を開発!

フェイクだから本家に劣るとは限らない評判!



7・宗教者としての私

オチ芸術に魅せられた世界

⑧【私が作った童話】

【童話①】

『青虫とケンタ』

〜亡き母に捧げる命の物語〜

【童話②】

ハケと少年

【童話③】

逆さ傘の村

【童話④】

ダイヤモンドになった雪


所有・ 登録商標


【かくさんうどん】

出願日   2024/3/15

登録番号 6862376

出願番号 24-027491


非公開
【フェイク資さんうどんレシピ】

うどん

➀材料の小麦粉

②うどんの下処理 

出 汁

  ③出汁、魚介類、地鶏


🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎



森のギャラリー(グリーン・アートギャラリー)

遊人村

子どもサロン


画廊は 子どもたちと高齢(幸齢)者の遊び場です。

YouTube

YouTube のコンテンツは現在の Cookie 設定では表示されません。"コンテンツを見る"を選択し、YouTube の Cookie 設定に同意すると閲覧できます。詳細は YouTube のプライバシーポリシーをご確認ください。Cookie の利用は、Cookie 設定からいつでも変更できます.

コンテンツを見る

画商も猟師もボランティアおじさんも、みんな、同じ人間!

どんな肩書も、取ってしまえば「人間」 が残る。

偉い人も、そうでない人も、みんな、一度は人として死ぬべき人間なんだ。そして永遠の魂に帰る。

(箴言8-22) 


🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎


私は十字架がクロスした地点に立っている。私の母、私の娘は、私の十字架とは少しずつずれた十字架を背負って、この世の地平をみています。となると、この世は網の目か碁盤ジマのようになっていますね。


オチ・オサム『石が

動いた』

🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎


【オチ&タピエス】

https://youtu.be/eDb6CfVKJss?si=bnKzQr68yLM

【プロフィール】

画商 田村治典/ニックネーム「夢・遊人」 

オチ・オサムを故郷から奪った男

オチが私を専属画商に選んだときの唯一の条件が「10年間は福岡で展覧会をしないこと」だったのは、オチの心の奥底に決して、癒やされることのない心の傷があったからだ。

オチの作品に、ひょうきんな目の、犬のような動物の胴体部が魚の骨で描かれ、鳥のように長いくちびるを持つユーモラスな絵がある。

私がこの絵を「面白い」と評した時、一瞬、顔を曇らせたオチが悲しそうに言った。

「田村さん!これは辛かったアル中時代の、ボロボロの僕の姿なんです」

それを聞いた私は、オチの過去の屈辱に晒されている場面が心に浮かびました。

私に、オチの心を守るボディーガードの決心をさせた瞬間でした。

福岡からオチを奪って10年が経ち、1998年3月、福岡市美術館で、『狂熱の孤独二人展』を企画した時の事です。

『昔の絵は良かったけど、今の絵は見るも無惨だ!』

私はオチを貶める、聞きたくない言葉を耳にしました。

勿論、オチが1995年に小倉そごうで発表した、逆遠近錯視の新しい絵など見ていないから言える言葉です。 

私はすかさず、『私にとって大切なのは過去の絵ではなく、オチがこれから描く絵だ!』

とオチを促し、その場をたち去りました。 

故郷に愛されているオチだからこその【ユガミ】だとはいえ、知らず知らずのうちに、オチの心に癒えることのない深い傷を負わせた『故郷のしがらみ』。

そこからオチを隔離させた10年の正しさを実感した出来事でもありました。

しかし今、そのオチの芸術は、震災で壊れた石膏トルソーのように、その存在すら知られずに歴史の彼方に忘れ去られようとしています。

資金力やマーケティングに劣っても、芸術遺産を未来に伝えるには、資産としての価値を上げることが重要なファクターであることも事実です。

私たちは、それぞれができることを分担してやるしかありません。皆さまのご協力も必須です。

そのために私はこの「希望の手紙」を世界に発信することを決めたのです。





被災地での ライフハック活動 


​私たちのオリジナルの災害ライフハック品は、全て、考案というより、各被災現場の極限状況の中での、苦しみの共有が形になったものばかりです。


​オチが「凹も凸も同じだ」と語ったように、絶望(凹)の中に、希望(凸)があるのです。

命を繋ぎ、未来に向かうために、どんな閉塞状況でも、『出口は必ずアル』ことを私たちは学んたのです。

【童話①】

『青虫とケンタ』

〜亡き母に捧げる〜 

【いずこ】から【いずこ】へ(命を考える)

  作 たむら はるのり


YouTube

YouTube のコンテンツは現在の Cookie 設定では表示されません。"コンテンツを見る"を選択し、YouTube の Cookie 設定に同意すると閲覧できます。詳細は YouTube のプライバシーポリシーをご確認ください。Cookie の利用は、Cookie 設定からいつでも変更できます.

コンテンツを見る

(下のリンクからこの童話による創作賛美歌を聞く)

https://suno.com/s/pR8WM4TpbIeWaYrv

【我が魂は故郷へ】

[Verse 1]

時の始まる その前に

全ての、み業の 

その前に

私はすでに 造られた

私の生命の ふるさとが

[Verse 2 ]

地を這う姿 仮の宿

私の蝶は 夢を見る

脱ぎ捨てられた 抜け殻を

超えて羽ばたく そのときを!

[Verse 3 ]

一粒の種 地に死なば

希望りんご 実をつける

明日 この世が 終わるとも

今日もりんごの

 木を植える

【Chorus】

ダイヤモンドの 雪のごと、朝日 輝く ツユのごと

主のふところに 

いだかれて

我がたましいは 

ふるさとへ




『青虫とケンタ』

『ケンタくん!ケンタくん!』おばあちゃんと車イスで散歩をしていたケンタを誰かがよびとめました。あたりをキョロキョロ見まわしましたが、周りには、おばあちゃんのほかには誰もいません。『気のせいかな?』とケンタが車イスに手をかけました。すると、また、小さな声がきこえます。『ケンタくん!ケンタくん!』声のする方を見ても、やっぱり誰もいません。『ケンタくん!ここだよ、ここだよ』声のする方には小さなレモンの木一本立っているだけでした。 

ケンタはレモンの木の方へ車イスを近づけました。

​『ケンタくん、ここだよ、ここだよ』声のする方に近づくと、葉っぱの上に、黒い小さな毛虫のようなものがいます。『ケンタくん、僕だよ!僕だよ!』ケンタをよんでいたのは、どうも、この黒い小さな虫のようです。


『僕、ケンタだけれときみはだれ?

』ケンタは不思議そうに話しかけました。『僕、青虫だけど、お友だちになろうよ』『うん、いいけれど、君、少しも青くないよ』本当は『黒い毛虫のようで、きたないなあ』と思ったのですがさすがに、それは言えませんでした。ケンタは青虫くんをおばあちゃんに紹介しました。『おばあちゃん、ここにお友だちになった小さな虫くんがいるよ』でも、耳が不自由なおばあちゃんは、トンチンカンに『かわいい虫だね』と、手を伸ばしレモンをちぎりました。『また、遊びに来てね』『うん』

​何日かが過ぎ、ケンタは、おばあちゃんと一緒に、車イスを押して散歩にやってきました。あの小さな友だちが気になっていました。『青虫くーん』ケンタはレモンの木のそばで呼びました。『ケンタくんの黒い体から毛がなくなって白い縞模様になり、少し大きくなっているのに驚きました。

『虫くん、色も形も変わってビックリしたよ』とケンタが言いました。虫くんは笑いながら『こんなので驚いていたら、これから来るたびにもっとビックリするよ』と言いながらムシャムシャ、ムシャムシャ、レモンの葉っぱをおいしそうに食べています。。『かわいい虫だね』おばあちゃんはそう言って、また、レモンをちぎりました。『虫くん、また来るね』ケンタは友だちが元気なのを見て安心したのです。それから何日が過ぎたある日のことです。ケンタはおばあちゃんと一緒に、また、レモンの木にやってきました。いつもの葉っぱに虫くんの姿が見えません。『青虫くーん』とケンタは呼びかけました。『ケンタくんここだよ』少し高い木の葉っぱの上に虫くんはいるようです。声の方を見たケンタは、もう、本当にびっくりしてしまいました。何ということでしょうか。あの黒ずんだ、みにくい色だった虫くんが鮮やかなみどり色に変身しているではありませんか。

『虫くん、君、本当にあの虫くん?とてもきれいなみどり色になっているけど…』『そうだよ、ケンタくん。だからはじめから、僕は青虫だって言ったでしょ。葉の色と同じ色だから、鳥さんからも見つかりにくいんだ』といいながら、ムシャムシャ、ムシャムシャ、葉っぱを食べています。

『おばあちゃん、見て!虫くんがこんなにきれいな緑いろになっているよ』でも、おばあちゃんは、いつものように『かわいい虫だね』というだけでした。そして、いつものように、レモンを取ろうとして手を伸ばしかけました。でも、どうしたことか、おばあちゃんの手が動きません。一生懸命、手を動かそうとするのですが、どうも、思いどおりにはいかないようです。『ケンタ、体が動かないよ。すぐに、病院に帰しておくれ』ケンタはおどろきました。おばあちゃんの顔色は変わり、体は動きにくそうです。

​『青虫くん、またくるね』そう言い残すと、ケンタはあわてて、病院に戻ることにしました。何日か、あとのことです。学校帰りのケンタの耳に青虫くんの声が聞こえたような気がしました。ケンタはレモンの木に立ち寄りました。『青虫くん、この前は急に帰ってごめんね』『いいよ、そんなこと。それより、おばあちゃんの様子はどう?』『うん、良くないみたい。もう外には出られないよ。ベッドに寝たきりなんだ』『ケンタくん、これからは、毎日、僕に会いにきてね。それに僕たちの命は、君たちより、はるかに短いから、もし、僕が死んでしまっても、そっと、そのままにしておいてね』いつもの様子と、どこか違う、青虫くんです。

『このレモンの木はケンタくんに見えているけれど、見えない地面の中の根っこが、この木をしっかりと支えているんだよ。ケンタくんは、これからの僕をみて、見えない世界をのぞくようになるんだよ』『ふーん。何のことか、さっぱりわからないや…』青虫くんが何を言っているのか、ケンタにはちっとも分かりません。でも、何か、とっても大事なことのようでした。

​次の日もケンタはやってきました。青虫くんを見ると、とてもようすが変です。『青虫くん、どうしたの?』『ううん、ケンタくんか、僕の体が動かないんだ。僕にも車イスが欲しいよ』青虫くんは、自分の体という重い殻を脱ぎ捨てようとするように、何度も身をよじりました。それは、静かで激しい格闘のようでした。

ケンタが見ている前で、青虫くんはだんだん固くなっていくようでした。

​『青虫くん、大丈夫かい?』心配になったケンタは何度も何度も青虫くんに話しかけました。でも青虫くんは『ううん、ううん』とうめくだけです。ケンタの目には、病院で寝たきりのおばあちゃんと重なっていました。青虫くんの動きは、だんだんにぶくなり、ピクピク動くだけになりました。だんだん固くなっていった青虫くんが、ついに動かなくなりました。でも、まだ、かすかな、うめき声は聞こえています。そのうめき声とともに青虫くんのきれいなみどり色はだんだん、黒っぽい茶色に変わっていきました。

ついに、うめき声が聞こえなくなったとき、虫くんは、黒っぽい固い塊になってしまいました。『青虫くん!青虫くん!』ケンタは必死で青虫くんをよびました。

​でも、青虫くんは何も答えず、ピクッとする気配すらありません。ついに、青虫くんは、死んでしまったのです。ケンタは悲しくて仕方がありません。お葬式をしたかったのですが、『僕が死んだら、そっとそのままにしておいて』という青虫くんの言葉を思いだし、ケンタは、黒い塊をそのままにして、泣きながら家に帰りました。何日が経ったあと、死んだ青虫くんのことが気になったケンタは、レモンの木へと向かいました。レモンの木に着いたケンタは、青虫くんの亡骸が、もぬけの殻になっているのに気がつきました。

『あれっ?おかしいな。どこに行ったんだろう?』すると、どこからか、聞きなれた声でケンタを呼ぶ声が聞こえてきました。『ケンタくん、ケンタくん』

​ケンタは、、声のする枝に目をやりました。なんということでしょうか。そこには、見たこともないほど綺麗な、一匹の蝶がまぶしく輝いていました。

『君があの青虫くんかい?』『そうだよ、僕は、一度死んでこんな風に変身したんだよ』『へぇー、どうして、こんなになるんだろうね』『それはね、本当は、君たち人間も死んだら、見えない神さまの蝶に生まれかわって、宇宙に羽ばたいているんだけれど、人間はみんな、死んだら終わりだ、と思っているだろう。だから神さまが、そのことを人間に気づかせるため、僕たち蝶を、この地球に送ったんだよ』『ふーん、でも本当に不思議で素敵だなぁ』『ケンタくん、そんなノンキなことを、言っている場合じゃないよ。おばあちゃんが病院でサナギになりかけているよ。急いで、早く、病院に行かなきゃ!』

​ケンタは急いで病院へ駆けつけました。そこには両親や親戚が集まっていました。みんな目にハンカチをあてています。お母さんが涙声で言いました。『ケンタ、おばあちゃんが…』ケンタは小さく、うなずきました。でも、なぜか、あまり、悲しくはありませんでした。『おばあちゃん、蝶になっちゃたんだね』神さまの蝶になって魂が抜け出た、おばあちゃんのなきがらは、青虫くんの殻になったサナギと重なっていました。ケンタが重いカーテンを引くと、朝の光が溢れ出し、おばあちゃんの顔を優しく包み込みました。まるで光の粒子がおばあちゃんを空へといざなっているようでした。どこから飛んできたのか、ひとつの美しい蝶がケンタの肩にとまりました。『ケンタ、私だよ!』『あっ、おばあちゃん!やっぱり、きれいな蝶になっていたんだね。』

​『そうよ、でも、ケンタにはいつでも、神さまの蝶になった私が見えるでしょう』『うん…』おばあちゃんとケンタは二人にしか、わからない会話を交わしました。『じゃあ、ケンタ、そろそろ神さまのところに行かなきゃ!』そう言い残すと、美しい蝶になったおばあちゃんは、ゆったりと大空に飛び翔っていきました。

この見えない宇宙への美しい旅立ちに、ケンタの他、誰も気づいた人はいませんでした。


​お・し・ま・い!


あとがきにかえて

【母との別れのご報告】

この童話の背景には、2014年に私自身の母を見送った際の、実体験と信仰があります。以下は、母が旅立った際に、親交のあった皆さまへお送りしたご報告の原文です。

​ 【ご報 告】

​私たちの母(田村澄子)が、天の蝶になるひとときに立ち会いました。

​11月27日、私たち家族は、95年の長きにわたって、神の愛によって与えられた母の魂を支え、育み、苦楽を共にしてきた母の肉体と、永遠の生命の住人になる母の魂が、別れを告げる厳粛なひとときを、最大の畏敬と感謝のなかに、母と共にすごしました。

​それは、あたかも美しい蝶が、自らを羽化させたサナギの脱け殻に別れを告げるときのように、厳か(おごそか)で静かなひとときでした。

悲しみではなく、ただ、ただ、しずかに、輝きながら流れる感動的なひとときに身を任せ、込み上げる神さまへの感謝の気持ちを、母の魂とともに味わっておりました。

​不思議なことに、母の魂が、95年間連れ添った自分の亡骸に別れを告げるのに、母は、亡骸の側にではなく、私たちの側に、共にいて、私たちと一緒に『長い間、ありがとう!』と感謝しながら、別れを告げていたことです。

亡骸の、穏やかで、優しいすがたは、とても美しく、遺影写真の、微笑みと相まって、最後の最後まで、明るく輝いておりました。

​2014年11月30日 
家族代表 田村治典